2013年7月31日水曜日

初めて知った「3ヶ月ルール」

妻が血管性認知症を発症し、緊急入院してから早3ヶ月が経とうとしていたある日。

担当医師から「うちではこれ以上処置の方法がないので早めに退院をお願いします」。

木で鼻をくくったような説明だった。まさにガーンである。突然の退院勧告である。

なんでも業界では3ヶ月ルールと言うらしい 。「どうにもならない患者をだらだらといつまでも入院させておかないように」との国の指導らしい。家族が面倒看ろということなのか。

いままで入院させてくれていたのに ナゼ突然「退院しろ」だなんて????

だったら早めに言って欲しかった。知らない私が悪いのか?経験しないとわからない。

一日おきに血液透析もしなくてはならないのに。今更家に連れて帰ることはできないのだ。

認知症でなければ家にも帰れるが、帰っても昼間は私は会社に行かなければならず妻一人になってしまう。危なすぎて心配すぎて一人にしておく事が出来ない。

かといって週3回の透析と認知症の病人を受け入れてくれる施設はない。どうするか?

そんな私の悩みをよそに妻は帰る気マンマンである。

とりあえず元の透析予定の病院で透析を続けるしかないのだ。

病印間で話し合いをしてシャント手術をした元の病院に転院が決まった。

元の病院なら看護士やワーカーさんも顔見知りなのでひとまず安心だ。

しかし、転院して間もなく、また問題が発生した!今度は脱走じゃなく、医師の手術ミスだ。

一難去って、また一難・・・。

2013年7月27日土曜日

ガケから前輪が飛び出した!谷底には車が1台・・・

二番目の兄と乗鞍岳へ山岳ドライブに行った時のこと。

山岳ドライブなのでもちろん道路は未舗装の砂利道。

タイヤは当然ノーマルなので、すべる、止まらない、グリップ無しのスリル万点!

まるでパチンコ玉を撒き散らした上を走っている感覚だ。

今風に言えば、超こえ~(?)。でも、やばーい!

ラリードライバーにでもなった気分で走る、走る!飛ばす、飛ばす!

ボンネットの上に酒屋で買った6本コーラパックをロープでくくり付けてある。

真夏でも山は走れば涼しい風が吹き付けてコーラは冷え冷えだ。

遊園地のジェットコースターより、ゲームのグラツリより面白い!楽しい!

しかし、ちょっと調子よく飛ばしすぎたのか、登りの左カーブが見えたとき、ケツをすべらしてハンドルを左に切ってドリフトォっと思ったら、ヤバ!ふくらみ過ぎだ!

逆ハンドルを切る間もなくガケが目の前に迫ってきた!慌ててブレーキを踏んだ!!

ザザザザァー・・・・!・・・止まった、止まったぁ♪ 登りだったから良かった。

・・・と、運転席から身を乗り出して外を見ると、なんと右前輪がガケの外で空転していた!

自分の腕を見るとトリハダが立っていた。

あっぶねぇー!もう少しで谷底へ落ちるところだった。そして、その谷底に目をやると、なんと車が1台横向きになっていた。当時人気のサニークーペだ!でも人は乗ってない。きっと助かったのだろう。警察に知らせる必要はなさそうだ。そんなことより自分のことだ。

車をバックさせ、今度は安全運転(?)で目的地に向かった。目的と言っても、ただ山道を走り回りたかっただけなので早々に麓へ降りて車ごと河原に入り、バケツで手洗い洗車した。

兄と二人で冷たいコーラを飲んで涼しくなったところで、手洗い洗車もも乾いたことだし、ではエンジンスタート!

河原から道路に出て走り出した途端、また問題発生だ!

あっ、ブレーキが効かない!愛車のベレット(今はありません)はドラムブレーキだったのだ。

そこで、仕方なく路肩に止めてドラムが乾くまで一休みの一日だった。日光浴と昼寝だ。

疲れた。でも私は楽しかった。兄はどうだったかな?

次回は、「空飛ぶハイエースで海が見えた」です。

2013年7月24日水曜日

「帰る大捜査線!」エレベータを降りたら・・・!

妻が脳血管性認知症で入院していたある日。

いつものように入院病棟5階のエレベータを降りると、そこに着替え用のバッグを持ち、赤いカーディガンを羽織った妻が看護士に腕を掴まれて立っていた。

??・・・??・・・えっ?何だ何事があったのか?妻もこちらを見て立ち尽くした。

一瞬、どういう事態なのか全く把握できなかった。

妻に近寄り「どうしたの?こんな格好して、ダメだろ!」思わず大声で怒鳴ってしまった。妻「家へ帰るのよ。人前でそんな大声出さなくってもいいでしょ!」、私「ゴメン、でもまだ帰れないんだよ。病気が良くなったら帰れるからね」、妻「ちび達がまっているから帰るの」・・・『ちび』は、いないのだ。

妻の「記憶の衣」がまた一枚脱げ落ちた。

それまでも何度か「帰る支度」をしていて看護士なだめられていたようだ。

その日も、どうにかなだめすかして病室に戻らせた。

今までは他人事としていた「院内徘徊」を現実に目にした初めての衝撃的な経験だった。

看護士の話によると、病室を見回りに行ったら姿が見えなかったので、トイレかそのフロアのどこかにいるだろうと思って探したが、いくら探してもいない!大変だ!患者が消えた!

それからが大騒ぎ。フロアのスタッフはもちろん、各フロアのスタッフ総出で捜索が始まったのだ。

しかし、運良く(?)すぐに見つかった。1階ロビーにいたのだ。危うくもう少しで「外出(帰宅?)」してしまうところだった。

その日からベッドから離れると詰め所にアラーム知らせる機能を持ったセンサークリップをパジャマに付けられた。「拘束」へのカウントダウンが始まった。

2013年7月21日日曜日

ボンネットが吹っ飛んだ!その後の、その後

さて、ラジエータを仮修理した愛車は夜の国道を家路に向かってひたすら走り続けました。

と言っても、アクセルペダルを踏んでも踏んでも、床を踏み抜くほど踏んでも最高速度は60km!
でも排気音だけはなぜかデカイというよりウルサイ。


まさに自然のリミッター(?)が作動してしまったのだ。夜の国道ではノロイことノロイこと。

後続車からはライトパッシングされ、クラクションを鳴らされ、煽られまくりでとにかくガマンガマンでようやく家にたどり着いたのだ。

そのままフロントから車庫入れした。家人には「あの車はハズレだな。山道で全然力が無いよ。やっぱり買い換えなきゃダメだな。途中山道で少しこすってキズがついたけど、ちょうどいい機会だから明日ディーラーに言って下取り見積りしてもらって新車にする。」と言い放ち家人には何事も無かったかのように振舞った。

先にスキー場へ行っていた兄には事前に事情を説明し事故のことは内緒にしてもらった。

それからが大変だった。下取りの見積りに来てもらうので少しできれいにして価格を高く見積もってもらうという口実で、手洗いで洗車し、それはもう舐めるようにピッカピカにワックスをかけた。

ただ、ボンネットが無いだけである。ただ、いくらアクセルを踏んでも60kmしか出ないだけである。

ヘッドライトもテールライトもブレーキライトもウインカーも点くしワイパーもちゃんと動くのである。

頭から車庫に突っ込んであるのでフロントグリルは見えない。溶接跡のある剥き出しのラジエータも見えない。エンジンもちゃんとかかる。吹けもいい、音だけは・・・(?)

翌朝一番でディーラーの担当者に「新車に買い換えたいから下取りの見積りをよろしく」と連絡。

喜び勇んで営業マンが飛んで来た!そこで下取り見積りの条件をつけた。

「車庫の前に大きな機材や荷物が置いてあるので車庫から車が出せない。悪いけど後ろから見て程度を判断して見積もってくれ」。そしてエンジンをかけライトやワイパーも私が作動して見せた。

結果、下取り価格は60万円になった。決定だ♪・・・その場で実際に走らせたら確実に下取り価格が下がったはずだ。なんせ60kmしか出ないのだ。リミッター(?)のおかげで。

しかし残念ながら(?)その日は車庫前の荷物や機材で車庫から出す事も動かすことも出来なかったのだ。そしてたまたま車庫内照明の電球が壊れてたのだ・・真っ暗?だからよく見えたのは車のケツだけだった。

後日その金額を元に同じ車種の新車に買い換えた。真っ赤なスカイラインだ。

営業マンさん、ゴメンナサイ♪・・・後から事情を説明し納得してもらった。

これでボンネットが吹っ飛んだ!のお話はオシマイ♪

次は「助手席の兄もビビッた!山岳ドライブで前輪ががけから飛び出した!」。乞うご期待。

2013年7月19日金曜日

脳血管性認知症に対処法がない?

妻が脳出血で入院した。予期した入院ではなかったので少し慌ててしまった。

着替えや洗面セットなどだ。以前、骨折入院やシャントの手術や肝臓ガン摘出手術の時に使ったものがあったので今回は手際よく準備できた。

・・・が、脳出血ってどうなるんだろう?という不安が拭いきれなかった。

知人に聞けば、出血が止まり、吸収されてしまえば体の麻痺的な後遺症は残るが退院できるとか、認知症を発症すると回復は望めないが水頭症なら手術で回復するとも聞いた。

しかし残念ながら妻は水頭症ではなかった。 「脳血管性認知症」を発症してしまったのだ。

担当医師によれば加齢によるアルツハイマーではないのでアリセプトのような薬剤による対症療法ものもあまり無いとのことである。

この段階で、「あの時気がついていれば・・・」の思いが頭をよぎる。後悔しきりだ。

まさに「大事な事は後から分る」の諺通りだ。

担当医師は、「出血が止まり、吸収されれば一時的に落ち着くが、その後はゆるやかに段階的に症状は進んで行きます。あとは見守るしかないですね。」とのことであった。そのときに進行を遅らせるためのアドバイスなどは残念ながらなかった。

診断結果の所見を医学用語を使って説明してくれたのだが、分り易く言えば「匙を投げた」のだ。
あとは「お好きにどうぞ」である。さあ、これからどうする!

・・・時が経過するごとに妻の症状は、まさに「脳血管性認知症」の症状が顕著に現れて来た。

何も無いはずの場所に「何か」が見える幻視、「あれ?○○はどこに行ったの?いまそこにいたのに」とか睡眠も昼夜逆転になり、朝昼夜が分らなくなってきた。

ただ毎日病室で食事をして過ごすだけが日課になった。

そんなある日、私が病院に行くと事件というか「騒ぎ」が起きていた!

2013年7月18日木曜日

ボンネットが吹っ飛んだ!その後

さて、突っ込んだトラックに麓の修理工場まで牽引してもらいました。

その時はトラックの運ちゃんが神様に見えました♪ホントに。感謝感謝です。

愛車はボンネットが無くなりエンジンルームが丸見えの内臓丸出し超リアルスケルトン状態。

おまけにラジエーターもブッ壊れて穴が開いている。

さて、これからどうするか?レンタカーで帰るか?家人に迎えに来てもらうか?保険会社に代車を頼むか?

どれもダメだ。また一から事情を説明しなければならないし、面倒だ。

そこで 私はプランBに変更した。

とりあえずラジエーターを一時凌ぎ程度に溶接修理してもらった。

そして、待つ。夜まで待つ・・・。暗くなるまで待つ・・・。なにしろ冬の日暮れは早い。

よし、暗くなった!これで帰れる。私は剥き出しのエンジンルームのまま家路を急ぐことにした。

幸い窓ガラスやライト、ウインカーの灯火類は無傷だったので走行に問題はない。

ただ、ボンネットが無いだけのことである。ボンネットが無いとわかるのはすれ違う対向車が寸前で気がつくかどうかだ。なにせ夜だし、ライトも点けている。信号待ちでも前後の車にも分りにくい。

順調に走り出したが、また問題が起きた!

スピードが出ない!いくらアクセルを踏んでも最高kmしか出ないのである。

ま、しかたないかとりあえず走れるし。後続車にパッシングされ、どんどん追い抜かれる。

安全運転♪安全運転♪で帰ろう。まず家まで。

その後どうしたか?家人にばれずに新車に変えるまでは、また次にご報告します。


2013年7月16日火曜日

脳出血!?!!即入院

妻の言動がおかしくなり、日曜出勤医師Cの診断で吐き気止めを飲み始めてから二日後。

この空白の2日間のブランクが今でも悔やまれてならない。なぜ兆候を気がつかなかったのか、病気に関する自分の知識の無さに腹が立った。まさに「後悔先に立たず」だ。

その日から透析開始するという予定で担当医師から透析担当課長を紹介された際、日曜の医師の診断と処置を説明したが、やはり妻の言動がおかしいので近くの脳神経外科を紹介して欲しいと頼んだ。

担当医師Aの紹介状で早速近くの専門病院で診察をしてもらった。

問診に同席したが、やはりおかしい。日にちと曜日はかろうじて言えたが、ペンやスプーン他5つの小物を見せられ、すぐ今見たものを言って下さいと言われ、一つ二つは言えたものの、あとは私を見て目で助けを求める様子だった。医師は何かを確信したようだ。

次にMRIで脳の検査だ。

結果・・・「脳出血」だった。脳出血!ナゼ?・・・・頭の中を疑問が駆け巡った。真っ白になった。

そして、即入院。この日から生活が一変した。これからどうする、生活は、家は、仕事は、回復の見込みはあるのか?

とにかく入院の準備だ、仕事どころじゃなくなった。戦いの始まりだ。

2013年7月15日月曜日

ボンネットが吹っ飛んだ!その1

兄と待ち合わせた苗場のスキー場に行った時のことです。

それまで私のスキーの経験はたった一回、狭山の人工スキー場でしか経験がなかった。

その時は初めての雪道、それも山道だ。チェーンもしっかり装備して、イザ苗場へ!

快適に雪道をドライブし、いよいよ登りの山道を調子よく登り始めてしばらく・・・。

曲がり角に差し掛かり・・・っと前方から大型トラックが下ってきた。でかい!長い!

ところがロングボティーのためか車線をまたいで降りて来る。それもエンジンブレーキをかけながらだ!ド迫力と言うか、まさに映画「激突」かブルースウイルスの「ダイハード」のアクションシーンの雰囲気だ。

ヤバイ!こちらはの登りなのでけっこうなスピードが出ていた。ブレーキをかけなければ!

思い切りブレーキを踏んだ!・・・が時すでに遅し。

わが真っ赤な愛車はスリップしてトラックのどてっ腹に突っ込んだ!それも巻き込み防止の木製バー2本を折ってだ。ズッド~ンだ。思わず目をつぶる。

!!・・・・気がつくと愛車は反対側の雪山に突っ込み、ボンネットはティッシュペーパーをくしゃくしゃにしたようになって近くに落ちて、ラジエーターからは白い蒸気が勢いよくシューシューと吹き上げていた!

どうやらトラック後輪のダブルタイヤに突っ込み、跳ね返されたらしい。

ガッガガガガッー!トラックが止まった。私は車から降りて「すみませーん」と謝った。

当然、「何やってんだバカヤロー!」くらいの罵声は覚悟して謝ったのだが、トラックの運ちゃんからは意外な言葉が帰ってきた。

「おーい、兄ちゃん大丈夫か?」!?!?!?拍子抜けである。というよりトラックは木製のバー2本が折れただけで他には何も被害がなかったのだ。こっちはボンネットが吹っ飛んだと言うのに。

結局、そのトラックにワイヤーで麓の修理工場まで牽引してもらったのだ。なんという気のいい運ちゃんだったのだろう、と同時にかすり傷一つ負わず何という幸運だったのだろう。そしてなんという情けない私だろう。

普通、乗用車がトラックに突っ込んだら乗用車の運転手は少なくとも怪我をし救急車で運ばれ、事故扱いで警察沙汰が当然なのに。・・・家人に絶対バレる!!

運ちゃんは名乗りもせず「お礼はいいから気をつけて帰れよ」と言って立ち去ってしまった。

運ちゃんは超善人!私は超ラッキー♪こんなことってあるんですね現実に。

さて、この後私がどうしたかは次回へ・・・・。乞うご期待♪



2013年7月13日土曜日

たら、れば、だったが・・・

妻が見当違いなことを言った翌日は日曜日だったが、翌朝はあまりにもとんちんかんな事を言うので、いつも通っている腎臓病の病院に行った。

あいにく日曜日だったので担当医はおらず当直の医師が対応してくれた。
妻の症状としては、「頭が痛い、吐き気がする、めまいがする」だった。
実際その日は二度ほど吐いたのだ。
検査の結果、当直医によれば「血圧が高いときはよくあることなので吐き気止めをだしておきます」と錠剤を数粒だしてくれた。この時の血圧は上が200だった!

このときの医師の判断がその後の処置を遅らせ、症状の悪化を招く事になるとは思わなかった。
もちろん私の知識のなさもあったのだが・・・。

翌々日は妻がその病院で透析を開始する日だったので、なんとかその日まで待って担当医師に相談しようと思って過ごしましたが、妻の言う事が段々おかしくなっていった。つまり、後で分った事だが「見当識=自分が誰で、今どこにいて、今何時なのか等」が不安定になっていたのだ。

2013年7月12日金曜日

「ツキ」の始まり3 運転席側面に衝突された!

暑い夏の日。近くのバイパスを爽快な気分でドライブしていた。

そのバイパスにはわき道からバイパスに侵入する為に中央分離帯が切れている場所がある。
いわゆる横Tの字になった進行方向右側の中央分離帯のスキ間だ。当然信号は無い。

事件はタイミングがいいのか悪いのか(悪いに決まってる)突然起きた。
私がそのスキ間を通過しようとした瞬間、右側から車が突っ込んできたのだ。

相手もあわててブレーキを踏んだから良かったものの、見事に運転席ドアにぶつかってしまった。

こういう場合、ふつうならドアやガラスが壊れ、顔や腕に大怪我が免れないが、
こちらも相手が突っ込んで来そうだな、相手もコチラにぶつかりそうだなとの思いがあり、同時にブレーキを踏んだのが幸いしたのか、ドンッという軽い衝撃程度でTの字にぴたりと止まったのだ。

それでも運転席のドアは少しへ込んだ。窓ガラスも割れたが、ガラスを下げ、腕を出していた(エアコンがないので)のでスリキズ程度で済んだのだ。ガラスはドアの中で砕けていた。

衝撃が少なかったこともあり首へのダメージはなかった。まさに不幸中の幸いである。

こちらのスピードがもう少し速ければ通り過ぎて何事もなかったかもしれないし、相手のスピードがもう少し速ければこちらが相手の車の助手席か後部に突っ込んでいたかもしれない。

2013年7月11日木曜日

群集に囲まれて

自動車免許を取って1週間。


初めて新宿のスクランブル交差点を通った時の事。

一般道はかなり慣れてきていたが、ここだけは初めてだった。

楽しく都内をドライブしていたが、スクランブル交差点にさしかかった時、信号が黄色に変わった。

本来ならば黄色信号は「注意して進め」なのだが、この時ばかりは緊張していたのか、ついブレーキを踏んでしまった。

ところが車が止まったのは交差点のど真ん中!

っ!!と思う間もなく四方の歩道から群集が溢れるように私の車に向かって歩き出した!

車はあっという間に群集に囲まれてしまった。どっちを見ても人、人、人!

そのうち、車の屋根を「どんっ!どんっ!」叩かれるわ、「へたくそ!」と罵声を浴びるやら、もうパニック状態!じっと信号が変わるのを待つしかなかった。

まさに「恐怖の一瞬」だった。それから黄色は「走り抜ける」ことにした。


「あの時」が、そうだった。

妻が夜中に起き出して、「明日お弁当持って行くんだよね。だからお弁当作んなきゃ」
と言って台所に行った。

また何を寝ぼけてるんだろう?と思い、「明日は弁当なんか持っていかないよ。いつも持って行かないだろう。それより、今は夜中だぞ、早く寝なさい」と言うと「あらそうだった?わかった。じゃ寝る」でその場の会話は終った。

次の日の夜。妻が外出の為の服を出して来て「明日はこれがいいかしら?」と聞いてきた。
えっ?何がと思った。「明日って、どこに行くの?」と聞くと、「病院行くの明日でしょ?」 と言うので、
「何ボケてんだ。病院はあさってだよ」と言うと「えっ、明日は火曜日でしょ?」と言う。

妻はもともとせっかちな性格だから準備の準備をするのはいつものことでなので気持は分るのだが、日にちや曜日を間違えるとは、いよいよ年のせいで少しボケてきたかなとその「時」はその程度に思っていた。

実は、これが兆しだった。

2013年7月10日水曜日

「ツキ」始まり2

まだ免許を取れない中学生の時。家のバイク(当時はホンダのスーパーカブ)を親にナイショで乗り回していた頃のこと。

当時はまだ近郊に畑や田んぼがあり、そこの農道でちょっとスピードを出しすぎてカーブを曲がりきれなくなった。あわてる余りにアクセルを吹かしすぎ、そのまま田んぼの中へ一直線に突っ込んだ!・・・が、転倒もせずに止まり、ケガもなし♪

なんんことはない。田んぼのぬかるみが適度な緩衝材になり、ブレーキをかけたようにゆっくりと止まったのだ。

そして公園の水道で泥まみれのバイクを洗って、何事もなかったかのように家に帰った。
家人は私がバイクをきれいに洗ったと勘違いしたようだった。

「ツキ」の始まり

あれは、確か小学生の時だった。何が楽しかったのか、はしゃいだ勢いで玄関から道路に
飛び出した時、目の前を走り抜けるトラックが見えた。

あまりに勢い良く飛び出したので私はトラックの側面に向かって突っ込んで行った。
体がトラックの下に入り込むかと思った瞬間、肩の部分にロープを止めるフックがかすめた!
!!思わず身体を引いたが、何もケガはなかった。

そのまま突っ込んでいれば間違いなく後輪で轢かれていただろう。暑い夏の日だった。

思えば、あれが車の事故に対する「ツキ」の始まりだったかもしれない。